自分にとって何がストレスになるのか気付いた話
本日は休日。
昨日のやる事リストを実行しようと思いながらも結局、部屋でネット観覧していました。
時間にして12時間以上ずっと座椅子に座ってネットをしていました。
特に楽しかった事も無く、記憶に残るような事があった訳でもなく気付けば休日が終わっていました。
本当に気付いたら時間がたっていました。
何時も休日はこの様に過ごしていますが何も記憶に残っていません。
記憶に残っていませんので会話のネタにもならず結果無駄に休日を過ごした気になっています。
身体的には何も動きが無いので休息にはなっていますが、気分的に寝ている感覚と同じで、何かを行った訳ではないので充実感がありません。
何をそんなにネットで時間を潰せるのかといえば、基本なろう小説を読み漁っています。
気分転換にまとめサイトも流し見して、動画サイトで興味のある物を時々みて、合間に無料ゲームをしています。
最近は会話のネタの為、ニュースサイトでタイトルを確認する事もありますが、基本小説をメインに観覧しています。
作品自体好みの物を読み続けていますので展開や結末が基本似た様な物になりますし好みから余りにも外れてくると読む事を辞めています。
結果似た様な感想しか出てこず時間つぶしで読む感覚になっています。
日記として記載するとなんでこんな無駄なことしているのだろうと思いますが感覚的にポテトチップスを食べてる感覚が近く感じます。
感動するほどの美味しさじゃないけれど手元にあると何となく食べてしまう感覚です。
ネットの観覧も何が何でもやらなければいけない感覚ではなく目の前に在って直ぐ実行できるのでしています。
スマフォ依存症と同じだと思います。
そう考えると割かし深刻な状況だと思いますがわたし自身は実感がありません。
暇がつぶせればネットじゃなくてもいいのですが、コスパから考えてネットが一番安上がりだから実行していると思います。
自転車のサイクリングも結果的に安く実行できるから趣味として続いているのかなと今さらながら気付きました。
貧乏性ゆえにお金が掛かるだけで精神的に負担を感じて楽しめていないのに気付きました。
若い頃は近所の山登りもしていましたが、あれもお金を使わないから楽しめたと分かります。
高級料理店で美味しさを感じるより、安い値段でそこそこの美味しいお店を見つける方がわたし的に嬉しかった記憶が有ります。
振り返って見るとお金を使うストレスがわたしが考えている以上にわたし自身にストレスを掛けていて結果お金の余り掛からない自宅でのネット観覧を無意識の内に実行していたのではと思います。
本日の日記を書きながらわたし自身の知らなかった一面に気付きました。
それとは別に昨日のやる事リストをしなかったのはただめんどくさかっただけです。